徳川吉宗は暴れん坊将軍?日本人が見習うべきリーダーシップを解説

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群馬俊貴

『全ての個人が個人で稼げる時代を作りたい』をモットーに情報発信中。20歳で林家一門に弟子入りし、25歳でGReeeeNやAdoの所属事務所からスカウトされる。

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リーダーシップについて悩んでない?

  • リーダーシップがなくて悩んでいる
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  • 歴史の偉人からリーダー哲学を学びたい

今回は、津本陽さん,童門冬二さんの著書『徳川吉宗の人間学』(PHP研究所)で解決していきます!

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徳川吉宗のリーダーシップ

暴れん坊将軍で有名な徳川8代目将軍である「徳川吉宗」は、かつて紀州藩(現在の和歌山県)の改革を行っていました。

現在の日本では、様々な地方自治体が町おこしなど地域活性化を目指していますが、吉宗はそれぞれの地域が個別に課題を解決する地方分権を成功させたのです。

これからの日本には徳川吉宗の様なリーダーシップが必要となります。

情報を分析する能力

吉宗は情報を最重要視していて、御庭番と呼ばれる忍びの者を使っていました。

戦国時代で有名な織田信長も情報を活用して勝利をおさめてきましたが、戦国時代の終わりと共に情報の重要性は低下していました。しかし、吉宗は、平和な時代だからこそ情報の重要性に気が付いていたのです。

そこで、庶民が直接的に政治に参加することができる「目安箱」を設置し、国民の意見を政治に反映する取り組みをしました。しかし、吉宗のすごい所はヤラセ疑惑があった点で、御庭番を使い目安箱に投書させ、吉宗自身が実現したい政策を国民の声として取り上げていました。

吉宗は情報を集めた上で情報を利用する能力に長けていて、情報を利用することで国民との信頼関係が高まると見通していたのです。

信頼を構築する能力

吉宗は、部下に指示内容を細かく説明することで、部下と正面から向き合って信頼関係を構築するリーダーでした。

吉宗の時代、幕府は赤字続きだったため「倹約令」を発令し、年貢律を引き上げて新田開発を積極的に行ってきました。翌年には「上げ米令」を発令し、諸大名は所有する領地の大小に従って、幕府に米を納めることになったのです。

吉宗は、大名を納得させるために、上げ米令を出した理由幕府がいま抱えている問題これからの取組みを事細かく説明して信頼関係を構築しました。

現在の企業でも、トップなどの管理職だけで取り決めを行い、後は伝言ゲームのように部下に伝える企業も多いため、吉宗のようなリーダーシップが必要になります。

先を見通す能力

吉宗は先を見通す力があったことで、江戸庶民や諸大名との信頼関係を構築することができました。

国民の意見を政治に反映させる取り組みを利用して、御庭番を使用して国民の意見に自分の政策を織り交ぜる演出は実に巧妙な策です。

また、上げ米令で諸大名を納得させる際にも、本来は将軍が大名に面と向かってお願いするのは有り得ない行為であり、徳川将軍家に革新をもたらしました。

目安箱を使ってヤラセをすれば国民から信頼を得られたり、将軍が大名に説得すれば信頼が得られるなど、どうしたら信頼関係が築けるのか見抜いていた点が今の日本に必要なリーダーシップなのです。

吉宗と信長の異なる点はどこ?

本書では、吉宗は情報を集めて利用することに長けていて、国民や部下との信頼関係の構築が上手かったと説明されていました。

たしかに、国民を納得させた上で政策を決めたり、部下が納得できるような説明をすることは大切ですが、吉宗と同じくかつての革命家である織田信長はなぜ明智光秀に裏切られたのか?について考察していきます。

なぜ信長は部下から裏切られた?

吉宗と信長は、活躍した時代こそ異なりますが、情報に価値を見出して点では共通しています。

部下との信頼関係の構築に成功した吉宗と比べて、信長はかの有名な「本能寺の変」により明智光秀に裏切られてしまいました。

あくまで仮説の1つに過ぎませんが、かつて京都の両サイドに位置する坂本と丹波の領地を治めていましたが、まだ制圧していない四国と領地替えすると命じられたのです。

しかし、信長には目標があり、後に九州地方を制圧するための準備の意味を込めていたと言われています。

光秀としては、今まで自分が治めてきた領地を取り上げられて遠くに飛ばされ「自分の役目は終わったのか?」と不安になったのかもしれません。

吉宗は信長をアップグレード

信長は、光秀との信頼関係を築いていなかったことにより、すれ違いが生じた結果、本能寺の変が起きてしまいました。

吉宗の様に、部下に対して今抱えている問題を正直に話し、現状どの様なことに困っているのか、今後はどのような対策を行うのか、事細かく説明していれば本能寺の変は起こらなかったかもしれません。

信長は、光秀の謀反と聞かされた際、「やむを得ない」と納得していたことから、自分自身が言葉足らずで光秀に誤解されても仕方がないと分かっていたのではないかと推察できます。

吉宗は、信長の失敗から学んでアップデートした存在であり、いままでのルールを打ち破ったリーダーシップを発揮していました。

まとめ

今回ご紹介した書籍
徳川吉宗のリーダー哲学

本書を読んだ感想は、徳川吉宗の「先を見通す力」こそが部下を惹き込むポイントであり、現代でも部下と信頼関係を高めるテクニックとして活用できると感じました。

本書を読むだけで、情報を分析して部下と向き合う徳川吉宗のリーダーシップが学べます。

まとめると、

  • 吉宗は情報を重視していた
  • 部下と向き合って納得させる
  • 先を見通して信頼を得る

以上の3点を組織などチームのリーダーシップに活かしてみてください。

最後までご覧いただき感謝です!

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