
こんにちは、群馬俊貴です!
今回は優しさと偽善の違いについて書きます。
普段の生活の中で、人に優しくしたり、人に優しくされたりといったシチュエーションがあると思います。
しかし、心の中では評価や利益を求めてしまう優しさもあり、そういった者を偽善者と言われます。
私は、優しさは偽善でもいいと思っていますので、その理由を説明していきます。
偽善とは
偽善とは、簡単に説明すると善人と見せかけて本心を隠す事です。
どういった本心を隠すのか代表的な例を説明します。
・自分自身の株を上げたい
・金銭や物など見返りを受けたい
・人間関係を円満にしたい
自分の利益になる気持ちを隠して、あたかも無利益の優しさに見せかけることを偽善と言います。
優しさは客観的な気持ちである
優しさとは、受け取った側である優しくされた側の気持ちです。
つまり、優しくした側に偽善の気持ちがあったとしても、客観的に見て優しさであれば、優しさに違いはありません。
他人に対して行動をした場合、主観的な気持ちは全く問題ではなく、客観的な気持ちの方がとても重要になります。
偽善者は悪者というイメージが日本では定着してしまっていますが、果たしてそうでしょうか?
偽善者だからといって、優しくした行動自体は事実なので、そこに見返りを考えていたとしても関係ありません。
重要なのは優しさという事実のみです。

確かに「優しさ」という行動の事実そのものだけで判断した場合、例え見返りを望んでいたとしても、「優しさ」という事実に変わりはない!
偽善者に成らざるを得ない
逆に、いくら自分が見返りを求めていない優しさだと断言しても、優しさを受けた側が恩返しをしてまったら、自分に利益があるわけなので偽善者となってしまいます。
偽善者が悪者だというのであれば、恩返しされた場合でも悪者となってしまうということです。
大抵の方は、優しくされたら恩返しをする場合が多いので、偽善者に成らざるを得ない時の方が圧倒的に多いのです。
このように、優しさを受け取った側からの恩返しをうけてしまった場合、自分に利益が発生してしまうのを避けることが出来ないため、多くの方が偽善者という風に解釈されてしまいます。
偽善者というよりは、本当の偽善者と判別がつかなくなってしまいます。
もし、偽善者に本心を質問したとしても、まず素直に答えるわけありませんし証拠など無いので判断するすべが0に等しいのです。
やらない偽善よりやる偽善
私は、上記の事も全て踏まえた上で、優しさは偽善でも良いので積極的に行った方がいいと考えます。
大切なのは理由より事実で、そこにどんな理由があろうと事実は事実のため、優しさに変わりはありません。
大学の単位が足りずに留年したとします。いくら家庭内の深い事情で授業にも出る事が出来ずに単位を落としてしまったとしても、特別に許されることはありません。それと同じ様に、優しさ自体の理由はなんでも良く「他人に優しくした」という事実が大切です。
傍観者よりもレベルが高い
偽善は悪いことではありません。
ただ素直になれない性格というパターンもありますので、一概に悪者と決めつけることは出来ませんし、本心の証明が出来ない以上は仕方がありません。
基本的に見ているだけの傍観者よりも、実際に行動を起こしている偽善者の方がはるかに人間力が高いです。
傍観者に必要な事は、優しさという事実を素直に褒めてあげることが大切です。
まとめ
偽善かどうか一旦置いておき、あくまでも他人に優しくしたという事実を増やしていく事が大切です。もし、自分の利益のために本心を隠して優しくしたとしても何も問題ありません。
優しくされた側が受けた優しさというのは、利益が有ったとしても紛れもない優しさです。
偽善と騒ぐ傍観者が周りにいたとしても、やらない偽善よりやる偽善です。見ているだけの傍観者より、実際に行動した偽善者の方が、はるかに人間としてのレベルが高いです。皆で優しくし合う優しい世界を目指していきましょう!

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました!
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